みんなの居心地のよさを大事にする

ファシリテーションで大事にしているいくつかのことシリーズ第一弾!!

①みんなの居心地のよさを大事にする

僕は2歳のころ、マンションの1階に住んでいて、ベランダの柵下をくぐっては、数軒先の友だちの家まで勝手に行って上がり込んでいたらしい・・・
自分の対人的感覚は、子どもの頃からの気質なんだろうなぁ。

とはいいつつ、小学生のころから「周りの目が気になる」子だったのも事実。

「自分」が周りからどう見られるかってことが、とても気になっていたことが現れている最古の記憶。それは、小学2年生のときの国語での出来事。

読書感想文を発表する日で、みんなが順番に前に出て、書いてきた感想文を読む。
みんなが「〜だと思いました。おもしろかったです」と、「です、ます」で、感想文を書いてきた中、自分だけ「〇〇さんへ、〜で、大変だったね。」的な主人公への手紙形式!!

・・・焦ったんでしょうね、みんなと違うことに。
自分の番が回る前に、全部消しゴムで消し、ぐちゃぐちゃになった白紙のノートを持って「アドリブ」発表。もちろん、みんなと一緒の「です、ます」な文体。

 

「自分がどう見られるか」を気にする人は、みんながどんな様子かを観察するのも得意なわけで、「八方美人」な自分が強化されていきました。


「八方美人」という言葉は、よい意味では使われず、短所だと思っていたのですが、「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう!」という本から、ストレングスファインダー(強みを見つける)という考え方に出会って変わります。

このテストで、34の資質から見えた自分の強みは、「包含」

「もっと輪を広げよう」というのが、「包含」の才能の強い人が人生の中核としている信念です。彼らは人々をグループの中に包含し、グループの一員であると感じさせたいのです。部外者だと感じている人や正しく評価されていないと感じている人に気付き、手を差し伸べて仲間に入れようとします。彼らは無意識に他の人を受け入れます。

「包含」の才能を持つ人は、人種、性別、国籍、性格、宗教に関係なく、相手を判断することはほとんどありません。彼らの「包含」という資質は、「人はそれぞれ違っており、その違いに敬意を払うべきだ」という信念に必ずしも基づいているわけではありません。むしろ、人は基本的に皆同じであるという確信に基づいています。人は、皆同じように重要なのです。ですから、誰一人として無視されてはいけないのです。私たち一人ひとりが仲間に含まれるべきです。
– クリフトンストレングスの資質より引用

ファシリテーターとして、グループの前にいるとき、みんながその場にいて「居心地がよいか」ということが気になります。
僕にとって一番大切なことで、「研修の目的」や「一歩踏み出すチャレンジ」以前のこと。

グループから外れている人、一歩下がっている人、表情が曇っている人のことが、まず気になります。そして、話や活動をそんな人たちに自然に合わせて「フォロー」しようとします。

その人たちが笑顔になると、自分も嬉しい。

その感覚は、飲み屋で端っこの席でポツンと一人になっている人に声をかけたり、話題を振ったりする感覚に似ているんだ。

心理的安全性があるからチャレンジしやすいという考え方にはとても共感していて、まずはこの場(グループ)にいることに納得している、やっていけると思っていることが、自己成長のためのアクションを起こすためには必要なんだろうと思います。

緊張がほぐれること(アイスブレーク)、関係性の質を高めること、いつでも大事に丁寧に☆
人の気持ちに寄り添える人でありたいものです。

 

 

 

ファシリテーションで大事にしているいくつかのこと

10月に仲間の勉強会の講師?をするのに、Zoomミーティング。

テーマは、「グループワークの介入について」
前回の湘南PACE

「りょうちゃんは、自分のファシリテーションの特徴って自分でどんなだと思っているの?」そんな質問をされ、色々と考えました。
もっさんの質問力最強!

自分の当たり前(暗黙知)は、人にとって当たり前ではなく、伝えるためには言語化(形式知)することが大事。

おばあちゃんの漬物の塩加減は、季節と野菜によって「良い加減」が変わる。
それを何グラムって軽量することに意味があるのかわからないけれど、味の再現のためには有効なんだろうな。

このプログラムだからではなく、「りょうちゃんだから」って言ってもらえる嬉しさをこの数年感じています。

人のつながりの中でもっと仕事がしたいと思うようになりました。

Drawing by Yuki Teranaka

さて、自分のコア、信念、価値観ってなんだろうを、今一度言葉にしてみるチャレンジ!!


  • みんなの居心地のよさを大事にする
  • 学びは参加者のもので、ファシリテーターのものではない
    “People can never teach people.”
  • 体験の力と参加者の学びを信じる
    “Plant the seed of positive change.”
  • ファシリテーションはArtである
    「今、ここ」に集う人たちで作るLive
  • 楽しさ、楽しさ、楽しさ!!
    FUNN
  • 人に謙虚であり、自分に自信を持つこと
    Tao(道教)の教え
  • 自然体でいたいから、たくさんの不自然体を経験すること
  • マインドフルでいること

 

まだあるかなぁ。

一つずつ、少しずつ言葉にしていきます。

一歩踏み出す勇気を考えてみる

夏の振り返り。

島根県江津市のNPO法人てごねっと主催
参加者でつくる中高生×社会人合宿!
「遊びから学べ!」

前回の2月に引き続き、また呼んでいただけたことに感謝。
同じメンバー数名、新しい出会いもたくさん。

そして、今回のテーマ「一歩踏み出す」

一歩踏み出すと成長できるかもと、頭で理解していても、なかなか行動に移すのは難しいもの。

「勇気」の科学/ロバート・ビスワス=ディーナーを参考に、みんなで考えてみました。

まず勇気の定義

「勇気とは、危険、不確実性、恐怖があるにもかかわらず、道義的で価値ある目的に向かっていく行動意思である」p.40 

なんだか、アドベンチャーなニオイがぷんぷんします☆
万引きとか、悪いことするのは「勇気」とは呼ばないあたりが教育的!

 

なかなか一歩でないってときの勇気の高め方は2種類。

①自分で高めるか、②仲間に高めてもらうか。

自分
◆行動力を高める◆スクリーンショット 2019-08-12 6.45.35目標を決める、スモールステップ、腹をくくる「よっしゃ!」、強い思い、気合い、役割がある、責任がある、他者と助けるという大義名分を背負う、願をかける、早めに一回失敗しておくetc

仲間
◆恐怖・不安を減らす◆スクリーンショット 2019-08-12 6.45.23
支援をもらう、リアクションがある、聴いてくれる、責めないで受容、笑顔がある、勇気づけてくれる、アドバイスをくれる、話しやすい雰囲気があるetc

 

普段、PAで出会う子どもたちと話していると、「みんなが○○だったら、一歩踏み出しやすい」と、要因を「みんな」に求める声が多い気がします。

集団圧力とか、対人不安とかを抱えて、なかなか一歩出られない。
出る杭は打たれちゃう感じ?

今回の合宿で集まった人たちは、朝一からお互いを支援し合おうという気持ちの滲み出る異年齢集団で、安心を感じずにはいられない雰囲気。
仕事の組織も、いつもこんな素敵な人たちの集まりだったらいいのに。

安心感の感じ方はもちろん人それぞれだけれど、集団(グループ)が、安心できるところであるならば、あとは自分で「腹をくくる」しかない。

でもそこはチャレンジバイチョイスを大切に。


「なんのために一歩踏み出すのか?」を考えることも大事。

自分の中で、勇気の定義にもある「価値ある目的」って何かを考えてみる。

「人前でもっと積極的に発言できるようになりたい」という人は、なんのためにそうなりたいのか?

それができると、自分はどんな気持ちになるのか?

成長したい、成功したい、ハッピーになりたい・・・そんな願いを持って、ぼくらは一歩踏み出すチャレンジをしているんじゃないかなぁと思うわけです。

Challenge by Choiceの哲学は、自分で「どこまでやる?」「いつやる?」と決める苦しさもある。

どんな選択をするかは、いつも自分次第。積極的なアクションとってみるのも、今は控えておこうと決めるのも、どちらも大事なことだと思う。

日々是好日☆

 

 

ドッヂボールが教育的にOKか考えてみた

先日、「ドッヂボールは非人間的で害」という論文を、カナダBritish Columbia大学のバトラー教授が出したというニュースがありました。

ドッヂボールを、「合法ないじめ」と表現していたのは興味深い。

逃げ惑う女の子を見て、バトラーさんは、「彼女は、今狩りにあっています。この体験から何を学ぶでしょうか?クラスメートと関係をつくるということよりも、人を犠牲にしてもよいということを学びます」とCBCのインタビューに答えています。

 

このニュースを聞いて、苦手な子たちの歓喜の声が聞こえてきそう(笑

 

カナダのドッヂボール協会の会長Duane Wysynskiさんは、ドッヂボールの核は「インクルージョン」(一人一人の能力や強みを生かして一体となる感じ)だとインタビューで反論しています。チームワークと戦略を学ぶとな。

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個人的には、小学校のころは毎日ドッヂボールをして、楽しい思い出がいっぱい。

強いボールをキャッチしたときの高揚感、当てた時の達成感、ボールを避ける緊張感、楽しかったなぁ。

意図的に「あいつ弱いから当ててやる!」とか、特定の人を痛い目に合わせようということはなかったし、むしろ、強いヤツを当てるために、パスをつないで足元狙って・・・と、チームワークを駆使して仲間と協力した記憶。

 

苦手な人には、痛くないように足元狙ったり、それなりに配慮や優しさもあったと思うわけです。

 

そんな思い出を抱えながら、ドッヂボールを教育的に廃止するべきか、大学の授業で試してみました(笑

 

女子大生20対20で本気のドッヂボール。
ボールはソフトバレーのボールを使用。

 

<結果>

プラスな印象・・・
◇みんなが知っている国民的スポーツで、ルール説明がいらない
◇当たりたくないから一生懸命動く
◇悲鳴もあるが、全体的に盛り上がっている感じ
◇運動の得意な人が、生き生きと本気で投げる
◇よい意味で遠慮がなくなる
◇とはいえ、頭とかに当たってしまうと「ごめんね!」と配慮もある。
◇ボールをキャッチしたり、仲間が当たったボールを空中キャッチしたり、ファインプレーが多発して、盛り上がる
◇当たっても痛くない(ソフトバレー使用)

【学生からのプラス感想】
・よいチームプレイができた
・ドキドキ感が楽しい
・まだ投げていない人にも平等にいくように心がけている人がいて、見習いたいと思った
・みんなの性格が出ておもしろかった
・これまでクラスにあった遠慮がなくなって、みんな思いっきり楽しんでいた
・ボールをキャッチして、チームに貢献できたと思った
・チームメイトを守って絆を感じた

 

マイナスな印象・・・
◆逃げ惑う苦手な人たち
◆「キャー!!」という悲鳴と、恐怖に怯える顔
◆だれかの影に隠れて、他人を犠牲にして自分の身を守ろうとする

◆もはや取る意欲はないので、背中を向けて無抵抗な状態を当てられる
◆投げるのが苦手な人は、ボールを拾っても得意な人に渡して投げない
◆苦手な人は、外野に出てから何もしない(運動量少ない)

【学生からの感想】
・普段優しい雰囲気のみんなが、ドッヂボールになると豹変して怖かった
・球技の中で一番苦手で、ずっと心臓がバクバクしていた
・人を当てたりするのが嫌だし、逃げるのも怖い
・すぐ当たってしまって、チームに迷惑をかけたと思った
・あまり知らないクラスメートに強く投げることに抵抗を感じた
・ドッヂボールは性格が悪くなりそう

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で、個人的な思いと見解。

ウチの息子たち with ボール

「関係性があって、やりたい人たちでやるのは楽しい」

 

点数を取って競うスポーツやゲームと違って、ドッヂボールは「相手を当ててアウトにしていくゲーム」という時点で、「集団の関係づくりをする」という目的には不向きかなと思う。

海外のドッヂボールはボールが複数?あるので、一人のプレーやエラーに注目が集まりにくい。日本はボール1個だからよくも悪くもプレーが注目されるし。

 

PA(プロジェクトアドベンチャー)のファシリテーターという立場からは、集団の関係性を作るために

・競う
・叩く(当てるなど痛さが伴う)

という要素は、普段あまり使わない。

「じゃんけんで勝ったら、相手の手を叩いてください」みたいなゲームを初対面の人とペアでやらされたことがあったけど、すごく困ったことがあります。

 

長馬とびとか、騎馬戦とか、はりつけ(壁に人を立たせてボールをぶつける)とか、痛い遊びはたくさんある。
それを思いっきり遠慮なくできるようになるにつれて、友だち関係が醸成されてくる感覚も大切だと思うので、痛い遊びも大事。

 

ただ、学校教育の場で「全員参加」として、「人間関係を温めない可能性がある遊び」をやるのはリスクがある。

指導者(先生)の言葉やフレーミングも大事。

ドッヂボールは、別名「Marder ball」(殺人ボール)。

「相手を全滅させろー!」とか怖い。

鬼ごっこでも、「タッチされたら死にます!」とか。
「思いっきりぶっ叩いてください」、「相手を騙して」、「エラーがあったらごまかして」、「アウトになったら参加できません」etc… 教育の場で「あそぶ」ときは、あまり使わないほうがハッピーだと思う。

 

「他の人を邪魔してください」 → 「積極的に関わってあげてね」

「叩く」 → 「タッチする」

「アウトです」 → 「外から応援してね」

 

言葉一つで、だいぶ印象は変わります。

 

 

仲間と休み時間に遊ぶとき、学外の公園で遊ぶとき、遊びのフレーミングが「タブー的」だから楽しいこともたくさん。で、そんな体験から学ぶこともたくさんあるわけで。

 

ドッヂボールは「非人間的だから禁止しましょう」ってことではない。

幼稚園でも小学校でも、先生は集団のどんな様子を見て、どんな意図を持ってドッヂボールをクラスでやるか、一度考えてみるきっかけにはよい論文とニュースだったのではないかなぁ。

 

 

 

 

夜の森で気がついたこと

森のシンガーソングライター山田証さんのライブ。
野草を食べたり、森や木のことを体験したりしながら、自然の中で音楽を聴く。
(証さんのホームページ:http://akashi.uzura.info/)

夜の森にみんなでごろんと寝転んで、木を見上げながら歌を聴く時間。
不思議な時間で、よい体験と気づきがあったからメモ。

◆呼吸が深くなった
寝転んだときには、完全に鼻がつまっていた。
ゆったり意識を自然に調和させて、ゆったりゆったりしていたら、3曲目の終わりのころに

すーーーーっと、深い呼吸ができた。

今年、一番深い呼吸。

リラックスしたからなのかな?
心地よさ、感謝。

 

◆見えていないこと − 見えること – 見えていないけれどそこにあること
寝っ転がってしばらくは、空の明るさや木の幹の黒さが見えていた。

しばらくして、枝の先の方が風で揺れていることに気が付いた。

木の枝はどこまでが揺れているんだろう?
枝の太くなるどのあたりから?
幹は揺れているの?

先日買った528Hzの音叉。
音が聴こえなくなったと思ってしばらく経ってから、音叉を耳に近づけると実はまだ鳴っている。
自分にとって聴こえる音はなくなったと思っても、実はまだ鳴っていて振動している。
聴こえていないのは、自分の立ち位置だったり、意識の問題で、実はそこに存在している。

枝が揺れているのも、自分に見えている部分は一部で、実は見えていない・気づいていないけれど、もっと揺れているわけで・・・。

 

子どもや大人に関わらず、グループワーク的なことをやっていると、
学習者の行動・思考・感情について、

  1. 見えていない・気づけていないこと
    そもそも視界に入っていないし、聴こえてもいない。はたまた想像もしていない。
  2. 見えている・気づいていること
    PAで言えばGRABBSS(グループアセスメントのツール)で参加者を観察・評価して、色々な視点で得られている学習者やグループの情報。
  3. 確かにそこにあるけど、気づけていないこと
    見えていると思って、見えていない。
    聴こえているけれど、その本質を理解できていない。
    共感しているつもりだけれど、寄り添えていない。

「わかった気」になっている時、相手が本当にそうなのかわからないので盲目的になる。

常に、「かもしれない」という可能性を想像して、興味を持って相手に関わり続けるのが大事なんだろうな。

スクリーンショット 2019-03-04 20.21.24

ファシリテーター あいうえお作文

授業準備をしていたら、10年前にアソベンチャーライフジャパンの研修で作った「ファシリテーターあいうえお作文」を発見。

懐かしいながらに、色々考えさせられる。
原点回帰しながら、今の自分だったらなんと表現するかを考えて見る朝です☆

自分の感覚にとって当たり前になっていること、2018年はどうだったかな?

実践できているだろうか?
チャレンジできているだろうか?
成長を感じられているだろうか?

・・・フルバリューの精神を。信頼、尊重・・・そして愛。全ての人に感謝して、みんなで成長していこう。謙虚な心を忘れずに!

・・・あなたの生き様が伝えることは多い。あなたの価値観、世界観。ロールモデルは、そう!君だ!毎日アドベンチャーして、経験値を積め!

・・・しっかり遊んで関係づくり。アイスブレーク侮るなかれ!自分の気持ちもリラックス☆

・・・リスクマネジメントは絶対意識!

・・・手のひらもわき腹も、全て見せて降伏(幸福)の態度。弱さや失敗、正直に見せてもいいじゃない!

・・・いないいないばぁ〜!いたりいなかったり、in&out。黒子のような存在であれ!勇者の剣は参加者に。

ター・・・た〜くさんのポジティブの種を蒔いたら、あとは天命を待て!咲くかどうかは信じることさ!

お客さんをつくらない

北海道の安平町で、防災ボランティアやプレーパークの場づくりをしている仲間と語らったことのメモ。

たまたま同じ本を読んでいたという偶然。
「あそびの生まれる場所〜「お客様時代」の公共マネジメント〜 / 西川正 

 

研修にしても、遊び場づくりにしても、「みんな」で作れたらいいなぁと思っていたのが、色々とつながっていく時間でした。

アドベンチャー教育の研修でも、よく「他人事」「自分ごと」にしてほしいと思うことがあります。
グループで起こっていること、クラスで起こっていることを、「まあ、私は関係ない」と関わらないフリをしちゃう。

グループのリーダーや、ファシリテーター、先生が一生懸命になればなるほど、メンバーが「お客様」になっていくこと・・・。

 

ベジ&フォークマーケットの運営のときも、ゴミの持ち帰りや、テントの撤収を、運営スタッフが、がんばればがんばるほど・・・来場者や出店者が「お客様」になっていく。

 

「一緒にやりませんか?」

「そっち、ちょっと持ってもらっていいですか?」

「手伝います!」「手伝ってもらえますか?」

「これ、どうしたらうまくできますかね?」

「どうしたら、よくなると思いますか?」

「これ、得意ですか?」

「ありがとう!助かります!」

「楽しいですね〜!」

 

そんな言葉を、主催者(リーダー、ファシリテーター、スタッフetc)がたくさん使えるような場があると、メンバーの力が発揮されていくんだろうな。

 

主催者側が自分たちで全部やってしまうよりも、「みんな」の力を借りた方が、大きな力が生まれる。

自分たちが、この場を創っているんだ!という意識は、楽しさにつながる。
自分たちが創ったんだ、という自信につながる。

 

授業でも、研修でも、イベントでも、そんな場づくりがしたいのです。